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2014年10月22日(水)

黒沢隆先生を偲ぶ会

黒沢隆先生を偲ぶ会の通知がやっと来ました。3月に亡くなったから夏までにはするだろうと待っていましたが、秋になりやがて冬。やらないんだな、やっぱり私が何とかするべきだったか?と心配しかかっていたら来ました。毎年黒研OBが中心のクリスマスパーティーを鎌倉でやっていて、その場所と時期を合わせたようです。こういう時に使う言葉としてはどうかと思いますが「粋な計らい」に感心しました。彼は良い門下生や後輩を持って幸せです。

ところが私最悪。その日外せないイベントを組んでいるのです。私が主催なので抜けるわけにはいきません。仕方がないから一人で「紙上偲ぶ会」をしようと思います。少し長くなりますが付き合ってもらえませんか?

 

黒沢さんはアマデウスのように貴婦人の前で大きなオナラをしても平気な人です。オーバーにとまどう貴婦人を前に失態をカラカラと笑い飛ばせるキャラクターを持っています。

笑いと言えば、彼には三つの笑いがあります。

「三一書房」が出版した「現代日本建築家全集」の堀口捨己の解説を彼が書いた時でした。中で「敷地と建築」という小項目で「八勝館の湯殿は、大浴場と家族風呂の二つから構成されている。大浴場は音聞山のふもとを見下ろすように、そして家族風呂は山を見上げるように配されている。斜面の下から見上げる大浴場は、それだけで十分にプライバシーを持つが、上から見下ろされかねない家族風呂には、ちゃんと塀で囲われた坪庭が用意されて、、、(略)」とこの見事な構成は傾斜地の途中にある建築の巧みな処理だと言うのです。私もなるほどと唸りました。そこに断面図はありませんでしたが、平面図と写真から見事に読み解くのです。で、一度行って見ようじゃないかと言うことになり、「堀口先生と親しくしている者です」と二人とも堀口捨己とは面識がありませんが嘘をついて、たしか「みゆきの間」にまんまと泊まらせてもらったと記憶しています。それで家族風呂に入って、ちょっと様子がおかしいので、外に回ってみると、「見下ろされかねない山」のはずが、山がありません。平地なのです。彼は思うところと違うので驚いていましたが、あきれて絶句している私を見て、カラカラと笑います。その笑いは貴婦人の前でも「屁は健康体から出る自然なもの」となんら悪びれない様子と共通しています。建築は実際とは違っても彼の読み取りに間違いない、そこに無い山の方が悪いと言わんばかりの笑い、「失態をカラカラと笑い飛ばす」同じなのです。

二つ目の笑いは、吉田類の行く酒場が好きで、よくTVの途中で「すぐ見ろ」と電話がかかってきました。或るとき「何であんな、“のれんで口を拭いて出る”ような飲み屋が好きなんだ?」と聞いたら、喘息の発作が起きたかと思うほど笑い転げました。「のれんで口を拭く」という表現が妙に気に入ったようで、そういう言葉のシャレには心から喜ぶところがありました。私がコンペで落ちた時も、ザマア見ろとばかり喜ぶので「我が悲しみに君は泣く、我が喜びに君は舞う」とはいかないのかね、とたしなめると、また喘息の発作のように笑い転げます。

三つ目の笑いは、近年ですが、宏子さんのご様子がかなり悪く、それでも三人で深酒をしている時、セーブの効かない宏子さんを見て止めようとはせず、それでも「しょうがないなあ」という諦めとも照れとも言えない笑い。これはこれまでも、口を出すべきでない相手の責任と自主性を問うという彼の姿勢、主体性を大切にしようという表れ、そんなときの笑いなのです。何度か見ました。

 彼は「雄弁」でない分、笑いに意を込めていると勝手に思っていました。去年だったか一昨年だったか、藤森照信氏が「野武士と呼ばれる世代としては、黒沢さんや宮脇さんとは距離を置いていた」と言う様な事を書かれていたので、野武士との距離は何だったのかを聞こうと思って、何年振りかで、ほんとに久しぶりに誘い出して飲みました。彼は私の聞きたいことには答えようとせず「僕は誰とも距離を置いていましたよ」と取り付く島がありません。昔と変わった。私が知の師匠として求めていた黒沢さんはもういないのか。まだ聞きたいことはあったのに。二人とも大分酔って、「東京駅」から地下鉄に乗る改札口まで私を送ってきて「来週また飲みましょう!」と叫びます。私は会いたい気持ちと、もう会いたくない気持ちと交錯しました。私はとっさに、「あ、来週は都合が悪いんだ」と答えると、見たことの無い悲しい顔で笑って、何か言おうとしましたが「そう」とつぶやいて笑うだけでした。私の嘘を見抜けないはずは無いのです。あの笑い、4番目の、そして最後の笑いでした。


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