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2015年12月27日(日)

消える建築

 建築設計関係の方なら知っていると思いますが、隈研吾さんは「消える建築」ということを3,40年前から言っています。それは(私の解釈ですが)要するに存在感を主張して我を張ってイコンたらんと頑張る建築を否定して、周囲に馴染む=(周囲に)消える建築 がこれからの建築だと主張しています。

 その時発表したのが、すべてを透明ガラスで作った別荘で、建築界では大きな話題となりました。

 私は「ウソーつけ!」透明ガラスで作ったって消えるはずがない、かえって逆に目立つじゃあないかと思っていました。

 だからあれは日本人の文化にある、歌舞伎や人形浄瑠璃に出てくる黒子のように、「見えないんだ」と意識の中で言い聞かせなければいけないようです。

「新国立」、隈さんの案に決まりました。建物を輪にして、何層も重ねたもの。その周辺に植物を植えて緑にしようとしたもの。 建物の壁に幾ら木を植えたって、周りの森と同化するはずがない。そんなことで消えるはずがないと思うのですが。「あれは森なんだ」と意識の中で思わなければいけないようです。(もっとも3年後もあの壁の中の樹木が緑ならばの話。屋根の上に植えたタンポポだって1年も持たなかったんだから、持つはずないですよ。いっそ造花にすれば?)

建築は最高の人工物じゃあないですか。それをいかに美しく作るか、それが建築家に与えられた使命です。ルッツエルンの湖の向こう岸に見える庇30Mのジャン・ヌーベルが設計したコンサートホール、スイスの山を背景に同化どころか強く目立ってほんとうに美しいと思いました。

ザッハのイコンが懐かしい。


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