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2016年06月24日(金)

後から出てくる反対意見

私は今、「山田守の京都タワー」について原稿を書いています。これは数々の業績を残しながら、ある時から「不評を買う駄作」を作るようになったことに焦点を合わせて描いています。「日本武道館」もそうですし、東海大学の「4号館」もそうです。

 しかし、そう書いていて、ふと横道にそれますが、世間や建築界を「悪評」で騒がせたのに、出来てしまうと、あるいは時が経つとそれが消えてしまう。むしろ一般からは人気が出る。こりゃあいったいどういうことだ? と考えています。

 山田守に限りません、他にもあります。これはずっと以前ですがこのことを「コラム」でも書きましたが、東京日比谷通りの「都市の美観論争」。「エッフェル塔」や「ポンピドーセンター」も騒がれませんでしたか?

 それで「舛添は辞めさせることはなかった。五輪施設を節約して2,000億円浮かせたのは彼のおかげだ」という意見が出始めたり、決定版は慎太郎の「田中角栄は凄かった」。それから「新国立競技場」の「ザッハを止めさせたことは間違っていたと」いう騒ぎを否定する意見。

 後になって「それ」を否定する意見が出てくる。それってどういうことでしょう。実は私、いつも「騒ぎ」を否定する意見と同じなのです。「舛添」だって「せこい」とこのコラムで書いたのは、一般の「舛添セコイ」と騒ぎになる前です。しかもせこいのは、そんなことを問題にする奴がセコイと書いたので、みんなの「せこい」とは反対です。

 まあ舛添がそんなにすぐ人気が上がるとは思いませんが、2020年の五輪の頃、経済が落ち込み3,000億の実行予算が1兆円を超す出費になった頃、やっぱりあのケチにやらせておけばよかったということになりませんかね。

 


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