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2016年09月16日(金)

伊東豊雄さんの木造仮設住宅

 伊東豊雄さんはやっぱり優れた人なんだとあらためて感心しました。

「朝日新聞」に「これからの建築」という長いインタビュー記事が載っていました。テーマが多岐にわたっているのでその中の一部ですが、今、熊本の仮設住宅で、「血の通った住まいを提供したい」から「木造の仮設住宅」を作っているそうです。木材で地元の大工さんが建てると「鉄骨よりはるかに温かみがある」とおっしゃるのです。

 伊東さんは私とほとんど同い歳ですが(三つ若い?)、私の世代のひとは感覚的に、木造は「貧」でスチールは「富」の象徴と感じているのかと思っていました。だからよく木に温かみを感じると言われるのは、若い人の感覚かと思っていました。私の世代は、木に温かみを感じるのはウソで、安っぽさを感じるのが本音だと思っていました。

 戦後、私は木造の家で育ちました。私の家の近くに米国の進駐軍に接収された家があって、門の下の隙間からよく見に行きましたが、其処には白亜の洋風の邸宅が建っていて、木質系のものなど、そこに住むアメリカの子供が飼っているウサギ小屋だけでした。家に帰ると、日に焼けた畳と真壁の傷ついた柱。小学生ですから情けないとは思いませんでしたが、「木は「貧」でスチールは「富=モダン」」の感覚は子供の頃強烈に刷り込まれたのだと思います。

 だから私が設計を始めたころ、家は真っ白にしました。拙宅(チキンハウス)も白です。3本だけ塗らない木の柱がありますが「温かみ」の為ではなくアクセントの為です。材料は安くて量産されるいわゆる新建材で作りました。当時勿論金が無いので、これ以上安い材料はないというもので作りました。それこそ「仮設」のつもりで作りましたが、40年住んでしまいました。だから高く評価し好きだった伊東さんの「シルバーハット」が壊されたと聞いたときはショックでした。優秀な方は建て直せるんだと。

 被災地の仮設住宅は勿論一刻も早く1円でも安く建てることが鉄則だと思っていました。私の世代は避難所の生活は5日が限度だと思うからです。しかし優秀な方は「5,6年暮らすことを考えれば」「たとえ一か月遅くなっても木造の良さには代えがたい」と長いスパンでものを考えて、割り切れるのだと思いました。

 優秀な伊東さんは「小さくても美しく、心地よい空間を生み出すのが建築家の仕事」とおっしゃいますが、私は、安っぽい量産の建材で作っても「美しく、心地よい空間を生み出すのが」建築家の仕事だと思っていました。「工場より安く、教会のように爽やかに」が私のモットーですから。

 そして私の世代は、「すべての人に行きわたる」ということを本能的に前提としていましたから、「材料や労働力(地元の大工)を確保しきれず」約4,000戸の仮設住宅のうち15%しか木造にならなかったと言われると、ちょっと?ですが、さすが、これで十分自己主張を象徴(シンボル)する効果はあると見ておられるのでしょう。

 蛇足ですが、「山内丸山遺跡」のような櫓の上の「みんなの家」、あれだってさすが伊東さんのような方は高齢者になっても梯子で上がれるのでしょうが、私ダメ、とても登れません。

 


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