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2017年02月17日(金)

ドトールコーヒーのこだわり

「ドトールコーヒーの本」のことを書いたコラムを読んだ別の友人から電話がありました。

「ほんのちょっとした違いにこだわることと、どっちだっていいだろうということは、君の言うことじゃあないね」と言うのです。

彼は「君は昔、実施設計や監理を手伝ってもらった奴が、サッシの原寸をチェックしなかったから、野暮になって作品が台無しになったと嘆いていたね。そのとき俺は、施主は?って聞いたら、施主は気づいていないようだけど、そういう問題じゃあない。オレは気になってしようがないって言ったじゃあないか」

そして、彼はファッション関係のデザインをしていますが、続けて言いました。「ファッションデザイナーを目指して燃えているひとは、訓練でお針子をやらされて、手縫いをしても、見れば分かる。ただ下職で金の為に働くお針子が縫ったものと、まったく同じピッチには出来ているけど、どういうわけか俺には縫い目の違いが分かるんだ。同じピッチならどうでも良いじゃあないかって云う奴もいるが、俺たちは、君も、その違いに生きがいを感じて生きて来たんじゃあないのか?」と言いました。

そう言われると、私も「燃えている奴」の図面と、「金の為に建築をやっている奴」の図面と、見れば分かります。書いていることは同じでも。いや、「展開図」なら展開図というのは同じでも中身は違うのです。本人はそれに気づかないだけ。

そうか、やっぱり「熱風焙煎」と「直火焙煎」と違いにこだわろうと反省しましたが、そもそも私、コーヒーがそれほど好きでないことを思い出しました。


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