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2017年03月24日(金)

一子相伝

東京国立近代美術館に「茶碗の中の宇宙」展を観に行きました。「楽家一子相伝の芸術」と説明がついていました。

展示室に入ってまず最初の一作を見て「無理だ!」と思いました。初めに観た茶碗は長次郎の「無一物(むいちぶつ)」でした。写真では、いつもじっくり見れば見るほど凄いなあと思っていた茶碗ですが、実物を前にしたのは初めてで、これですべては終わりだと思いました。

つまり完璧で、気品があって、もうこれ以上のものを許さない、寄せ付けないという凄味さえ感じさせる作品です。だから「楽家一子相伝」=楽家が自分の子一人だけに奥義を伝えること=は無理だと思ったのです。もう長次郎は初めから完璧なものに到達し、それを自分の子供だけに伝えることなど、できっこない。

現在楽家は15代目です。これまで奥義を伝授されて、それぞれがそれを継ぐことに悩み、それを壊し、乗り越えようとした跡は、痛いほどよく分かります。特に今の15代は、それが特に派手に感じられて、最後の部屋は食傷で、早々に引き揚げました。「無一物」が匠気をすべてそぎ落として完成に到達したのを、その真逆を狙ったように見えたからです。

しかし考えたのですが、どうしてこの焼き物の世界は「一子相伝」なのでしょうか? 途中無理をして養子(婿?)までとって、楽家の奥義を残し伝えようとするのか、それが分かりません。

そういえば、 バレリーナやオーケストラの指揮者や声楽家や西洋絵画の画家は一代きりで、歌舞伎や長唄や狩野派や琳派の日本画、それに生け花は「一子相伝」です。それは「家」や人間の側の制度に特性があるのか、それとも文化芸術の質に特性があるのか?

こんど茶碗と日本文化に興味を持って研究しているイナミ君に聞いてみましょう。


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