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2018年06月08日(金)

育った環境と変な社会の関係

伊集院静のエッセイにこんな一文があった。「だから私は窓の開かない高層ビルに暮らしている人は人間の暮らしをしていないと考える。四六時中、そこで育った子供は情緒を身体に育むことが難しいと思う」

 前後の文をカットして引用したら怒られるだろうが、テーマとしてはこれでいい。

最近の特殊な事件をこれに結び付ける気はないが、全体的に社会の変な傾向としては、子供にしても大人にしても、育った環境はかなり影響しているのではないだろうか? 変な傾向というのは、「言語道断」、「ありえない」と言われながら公文書の改ざんが実際に行われたり、それが分かっても騒がない。社会の正邪の機微に敏感であるはずの学生も、課題や授業のこととゲーム遊びで頭が一杯になっている。そしてどうでもいいこと、どうにもならないこととして忘れていく。

これはきっとみんなで地上(路地や空き地)で遊んだ経験のない子供が大人になったのではないだろうか。

昔(変な言い方だが)、高層マンションが建ち始めたころ、学会や大学では、高層で暮らすと人の情緒にどう影響するかとか、中間階や屋上に緑のスペースを作るべきといった調査や提案が行われていました。学会の大会でも発表していました。

ところが現実の発展に追いつかず、学会の発表なんて藻屑と消えたのではないでしょうか?

だからそういう環境で育った大人たちが、今、変な社会を構成しているのではないでしょうか? 建築家って無力ですねえ。マンション設計建築家も、不動産屋の採算計算の片棒を担いでいるんでしょ?


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