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2019年04月22日(月)

長谷川尭氏ご逝去

長谷川堯氏の訃報、朝日新聞で知りました。同い年だったんですよ。

人を包み込むような大きいお人柄だったので、3,4歳は上かと思っていました。

思い出があります。

私のデビュー作「ヴィラ・クーペ」が「建築文化」誌に掲載されたとき、ちょうどそのころ始まった「新建築」誌の「月評」で、長谷川氏は「この美しい自然の中に建築家のこれ見よがしな建造物は許せない。自然破壊で冒とくだ」というような内容の酷評を書かれました。

それは「建築文化」では、1頁全面に大橋富夫氏の写真で、妙高高原の遠景にポツンと浮かぶヴィラ・クーペが映されている写真を見て評されたのだと思います。

その評が出た直後に友人の木島安史君が長谷川氏と仲が良く、何かの会合で紹介されたので、初対面でしたが噛みつきました。

「あの酷評は現地に行って実際にご覧になって書かれたのか? あの写真は普通は行かない特殊な処にカメラを据えて、広角レンズで撮られたもので、カメラマンの特殊なテクニックによるものです。実際に行かれたら、遠くから家の前に行くまでほとんど気づかないくらい、自然の方が強い存在です。」とまくしたてました。そして「実際に行ってみないで視覚的な評をされるのは止めた方が良い…」と言ったかどうか忘れましたが、とにかく生意気な若造は、デビュー作をけなされたことに全身で戦闘を仕掛けました。

長谷川氏は何と言われたか忘れましたが、良く理解されたようで、その後もお会いすれば挨拶と会話を交わす程度の関係になりました。(私は「神殿」派でしたが…分からない方は氏の名著「神殿か獄舎か」を読んでください)

それ以来「月評」は他誌の評論はあまりしなくなったと記憶しますが・・・

その時の「月評」は宮脇、黒沢、長谷川、山下の各氏。山下和正氏はご健在だけどあとの3人は、木島も大橋さんも含め鬼籍に入ってしまわれましたね。

ご冥福を祈ります。


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