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2019年07月15日(月)

コンペを考える

建築のコンペを研究されていた日大の近江栄先生は「優れた才能を民主的な方法によって発掘し登用するのがコンペ」と書かれています。

そういうコンペでデビューした建築家がいた良き時代を懐かしく思いますが、今はコンペも地に落ちたと悲しいし憤りさえ感じます。

 「新国立競技場」の国際コンペで、日本が国際的な不祥事を起こし、建築界が国際的な恥をかいたのは、まだ記憶に新しいことです。

 コンペにはいろいろ問題がありましたし、まだまだ問題がクリアになっているわけではありません。

 しかし国際コンペならずとも、身近な身の回りにも「疑似コンペ」「偽コンペ」が流行っていることにも注意をしなければなりません。当時(昔)の建築家は、インチキと見るやボイコットをしたり、抗議をして身を正しました。それが今では仕事欲しさに、建築士は身を卑しめても取ろうとします。

 もっとも「コンペ」と謳って行う「施主の建築家集め」は、「コンペ」とは言いません。釣りで言う「撒き餌」や「擬似餌、擬餌針」に引っかかっている哀れな建築士なのです。

 そもそも審査委員を施主だけで行うのは「コンペ」ではありません。施主が審査に入る場合も、あくまでも専門審査委員の参考のために入るべきで、主たる審査からは外れるべきなのです。何故か? コンペは専門的知識、専門的能力に優れたひとに審査を委託し、優れた案を発掘してもらうものなのです。

自分(施主)が気に入ったものを探したいなら、金を払って案を出してもらえばいいのです。それも同時に複数のひとに仕掛ける(同時に比較する)のは、本来のあり方(設計契約をしてからスタートするという形)ではありませんし、たしか日本建築家協会も禁じていると思いますが。

ただ、建築家協会なんて糞くらえというなら話は別ですが、それでも建築家には十分説明し、承知の上で行うべきです。

そのように、施主が同時に複数案を比較する「疑似コンペ」の場合でも、最低限のルールはあります。それは、表示している賞金は必ず全額参加者に払う。つまり、万一「該当作品無し」となった場合でも、提示した賞金は、全額建築士側に渡すべきで、施主に戻してはいけませんし、「いい案が無いので払うの止めた」ということは許されません。最低のルールです。いやならこの方法をとるのは止めてください。

建築士も、少なくともそれを約束(確認)して参加すべきです。それを守らず参加する建築士は、今一度鏡で自分の顔を見てください。PS 重要なこと追記します。募集するとき「公募」したものは、その結果と講評は公表すべきです。申込制・登録制だとしても、一度は公表(公募)したものです。内輪で済ますのはあってはならないことです。最後まで公表するようにしてください。次回行うことの参考のためにも、責任があります。



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