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2020年04月17日(金)

「コロナ禍」と戦争

 コロナ禍を「世界大戦」に例えるひとがいますが・・・知らないんですねえ、戦争を。

 あの時は、夜、電気の光が外に漏れると叱られました。ラジオの音を小さくして聴いていました。

 真夜中、サイレンが鳴ると飛び起きて、庭に掘った防空壕に逃げ込まなければなりません。毎晩です。雨の日も。一晩に二回の時もありました。

 そのうち子供たちは、眠くって起きられない。

 隣のオジサンがよく怒鳴っていました。

 「早く!来い!! 早く! 早く入れ!!」 それでも子供たちは起きられない。

 「早く来ないから、敵機は行ってしまったじゃあないか!! バカモノッ !!」

 ??・・・オカシイと思って笑う人は誰もいませんでした。

 食べ物は特に不自由でした。まったく無いんです、まともなものが。

 兄貴が、道路の端に生えている雑草の根で食えるものがあると聞いてきて、二人で採りに行きました。ひと際大きい雑草の根で、しょうがのような根でした。母は黙って大根と一緒に煮ていました。誇らしい一瞬です。

 食えるものは何でも喰いました。

 田んぼのイナゴを獲るのは子供の役目です。取ってくると、母がホーロー鍋といって、素焼きのフライパンのようなものに入れて、蓋をして火にかけます。

 するとたちまちバタバタバタバタ!と凄まじい勢いで跳ねます。

 母は蓋を押さえながら、つぶやくように念仏を唱えていました。すると、必ず最後に一匹跳ねる奴がいて、静かになります。そうすると念仏が終わります。

 友人のイナバさんは同い年です。戦時中の話なんかしたことがありませんが、この間、何かの折に戦争の話になりました。うちの方が貧乏のようでしたが、食うものはやはり苦労したと言います。

 しかし私が「トンボを喰った」と言ったら、絶句しました。

 トンボの胸の膨らんだところに、胸肉があるのです。ほぐすともみ殻くらいの大きさの肉が四つとれます。、炙って喰いました。オニヤンマとギンヤンマはめったに取れませんが最高でした。貴重なたんぱく源でした。

 若いみなさんも4,50年したら、この「コロナ禍」を思い出しますよ、きっと。

「あのときもらった10万円は嬉しかったなあ」

「何に使った?」

「ワインとキャビヤ」

「・・・・」 勝手にしなさい。


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