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2020年05月25日(月)

二部授業

 コロナ禍を戦争に例える人がいます。

 似ているものもあるのでしょうか。

「2部授業」なんて終戦直後の懐かしい言葉です。今やっているそうですね。午前と午後にわけて授業をするとか。

 戦後も、校舎が焼けて、教室が足りなくなりました。 生徒はどんどん増えます。数年の間「2部授業」は続いたと思います。

 しかしそれ以上に大変だったのは、先生不足。私の小学校2年、3年の時の担任の女性の先生は、理由は知りませんが、ほとんど来ない。代わりの教員がいない。自習ばかりでした。(自習って今でもありますか?)

 最近、授業の遅れをどうするか?問題になっていますが、思い出しますよ。2年間くらい、まともな授業はほとんど無かった。遅れるどころか欠落です。

 しかもご存知ないかもしれませんが、日本は戦後、漢字を止めてローマ字にしようということが真剣に論じられていた。それで文部省は全国に数校「ローマ字実験学級」を作って、観察していたようです。私のクラスがその「実験学級」に当たったのです。4,5,6年の3年間です。

 算数も理科も社会も、国語以外すべてローマ字で書かれた教科書を使いました。授業もすべてローマ字です。普段の手紙もローマ字。

 親は焦りましたね。うちの子は漢字の読み書きができなくなる。今だったら勇ましいお母さんたちが絶対に許さないと思いますが、昔は言えなかった。どうしても拒否する生徒は他の普通のクラスに移りました。

 十何年か前に、NHKでその「ローマ字実験学級」というものが戦後あったことが特集されて、NHKのTV取材班が大勢私の家にインタビューにきました。机に地球儀を置いてカッコつけて、カメラに向かって思い出を語りました。

 「(戦後の)小学校の教育なんて、どうっちゅうことないですよ。区立ですから玉石混交、バカもいれば良い奴もいる。それでも3年間漢字を使わなくても、みんなまともに生きてきました。40人のクラスで、その後の道は、慶応が男女3人、早稲田が一人。他の普通のクラスに引けを取りません。東大に行った奴は他のクラスにもいなかった。私の担任はローマ字に燃えた熱血漢で、その方の影響が強かった。小学校ってそんなもんですよ」と持論の教育論を得意になって話して、番組を見ていたらほとんどカットされていました。

 今、半年の遅れをどうするか問題になっていますが、NHKは私の意見を何故放映しない? 叩かれるのが嫌だからボツにしたんでしょう。。(私も叩きのめされるのは嫌ですが…)

 ま、そういうわけで・・・戦争と比較しても何にもならない。 


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