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2020年07月02日(木)

安保ハンターイ!60年

私はノンポリ学生でした。

 60年安保改定の時、級友たちは皇居前広場でジグザク行進のデモに参加していましたが、私は人影のほとんど無くなった製図室でコンペをやっていました。

 そのことがずっとコンプレックスとなって胸にひっかかっていましたが、もうひとつずっと引っかかっていたのは、「アンポ反対ってどういうこと?」ということでした。

 同世代のひとからは「人でなし」と思われるでしょう。

 しかし分からなかったのです。岸信介は劇的に退陣したから、結局は学生が勝った、と思っていました。つまり「安保改定」は通らなかった。学生の主張が通った、と恥ずかしながら信じていました。

 先日「朝日」の「オピニオン&フォーラム」という欄に「安保60年続く対米依存」という政治学者のインタビューが出ていました。

 それを注意深く読んでまとめると

 1951年吉田茂がサンフランシスコで講和条約と安保条約(旧安保)に調印した。

 しかしこの旧安保条約は「占領体制が色濃く残っている不平等なものだった。」

 そこで 1960年、岸信介はこれを平等で対等なものに変えようと、アメリカと交渉し、認めさせ1月にワシントンで新安保条約に調印します。

 そして同年5月の国会で、社会党や学生の反対を押し切って自民党単独で新条約を可決させようとします。

 さて、私が分からないのはここで、51年サンフランシスコの「不平等な旧安保」を(細かいことは別として)少なくとも大筋では対等で平等なものに「安保改定」しようとしているのに、野党や学生は何故デモをしてまで反対したのか?

 朝日の記事によると「岸が日米就航100年の行事として6月にアイゼンハワー大統領を国賓として招待し、それに間に合うよう調印した条約の国会承認を急いだため」とありますが、エッ!? と読み返しました。

 アイゼンハワー大統領を国賓で招待する、それに間に合うように国会を通そうとした。そういうことが「安保ハンタイ!」の理由だったようです。

 それなら、今でもやっぱり「安保反対って何故?」と分かりませんが・・・

 学生が総出でジグザグデモをして、女子学生の尊い命が奪われてまで「アイゼンハワーの国賓来日に反対」したのは何故ですか? トランプは来ましたよ。何故反対しなかったのですか?トランプはアイゼンハワーより良い大統領なんですか? そうは思いませんが。 勉強しなければ・・・

 それより「習近平、国賓来日ハンターイ!!」しないの?


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