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2020年11月28日(土)

「設計者」とは誰か・・・つづき

前回書いた「設計者」とは誰のことか? という文章、前段で国会の予算委員会の答弁に立つ大臣にメモを渡したり内容をささやくバカな光景と重ねて書きましたが、適切ではなかった。 反省して(前半を)取り消します。

 何が適切でなかったか? 

 国会の場合は、何も知らないフ抜けのような大臣に、答える内容を 秘書や官僚が教えます。

 一方 建築の場合は、ボス(所長・建築家)に、スタッフが精いっぱいの自分の思想やアイデアをぶつける、真剣勝負の場なのです。泥と雲の違いがありました。似たような話、と重ねたのがまずかった。

 ところで、その「設計者」とは誰のことか? の、つづきです。

 東海大学の「湘南キャンパス」は初期のころ、松前重義総長が、すべての建築を山田守に頼んでいました。刎頸の友だったのです。

 ところが一連の最後の建築、「4号館」という本部棟の建築を始めるとき、山田守は病に倒れます。そして工事途中、完成を見ずにご逝去されました。

 「湘南キャンパス」は「1号館」から「4号館」までの4つの建築が高い丘に並び、その中央からメインの並木道が下に伸び、途中に噴水があって、並木道の両側に実験棟などが並ぶシンボリックな配置計画になっています。

 南門から並木道を上がっていくと、色々な形をした建築が4つ並んで、「湘南キャンパス」の特徴になっています。

 ところがその「4号館」は、実はアメリカ、ロサンジェルスの「ドロシー・チャンドラー・パビリオン」にそっくりなのです。はっきり言うとパクリなのです。

 私はロスに行って実際に見てきました。写真も沢山撮ってきました。そっくりです。どう見てもパクリです。

 私は山田守がその建築を見に行ったことも調べました。同行した人からも話を聞きました。

 そして、山田守が何故パクったのか、小論を書いて、東海大学の「年報」に発表しました。

 私の小論は、そのパクリについて、非難のヒの字も感じられない、むしろ男の友情と愛をテーマにした小論ですが、ここでは省きます。

 10年くらい前に、建築学会の会場が東海大学の湘南キャンパスであったとき、ちょうどいいので、「4号館はドロシー・チャンドラーのパクリだ」という論文発表をしました。

論文ではパクリを実体的に検証して、あとの質問のコーナーで「何故パクったか?」という友情をテーマにした私見を述べる予定でした。 

 ところが「山田守の研究者」と自称している男から異議が入り、(私の発表をあらかじめ知って準備していた)彼は「図面を調べたら、ご子息(当時事務所にいた)の印が押してある。だからこの設計はご子息がやったもので、山田守のものではない」と主張するのです。

 図面の右下の印が設計者だと思い込んでいるバカがいる以上「設計者とは誰をいうのか?」を定義しなければならないなとつくづく感じました。 

 その横槍のおかげで、山田守という建築家が、なぜパクったか? 男の友情、そして建築をどう考えていたか? 学会では話せませんでした。いずれ機会があったら、話したいと思います。


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