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2021年03月03日(水)

吉阪隆正先生の江津市庁舎

ネットニュースで見たんですが、島根県の江津市庁舎が解体されるかもしれないと騒がれています。

 吉阪隆正先生の設計です。

 学生の時、吉阪研究室でその市庁舎の設計をしていました。私は、その熱気にあこがれて「手伝わせてください」と頼みました。 勿論タダです。 晩飯だけ食べさせてもらいました。いつも「金城庵」(早大名物)のカツ丼でした。

 私の仕事は、前室で、ほとんど鉛筆削りです。時たま、訂正図面の線を消しゴムで消すだけの仕事がありましたが、あとは友達や先輩と「建築談義(議論?)」に夢中になっていました。

 奥の部屋では大竹十一さんや鈴木洵さんが図面を引いていて、しょっちゅう中に入って見せてもらいました。

 だんだん積算に出す締め切りが近づいて、何日も徹夜が続きます。授業に出る以外は入り浸っていました。 

 徹夜というものを経験したのは、たぶんその時が初めてです。(受験の時もしたことがなかった) 忙しくなったので、我々にも仕事が廻って来ます。コンクリートの断面に鉛筆で点を打つだけ。 友達がトントン打っていて、音が止まったので見ると、鉛筆を下ろす途中で寝ています。

 吉阪先生が時々来られて「眠いのか? じゃあこれを読みなさい、目が覚めるから」と渡されたのが、エロ本でした。そういう本を見れば目が覚めることを初めて知りました。(オクテ?それともカマトト?)

 とにかく図面は完成して、積算に出されました。終わったのです。

 ところが数日経った頃、研究室は、なにか重い雰囲気で、空気が変わりました。

 「施工不可能」という事らしいのです。(なにしろ学生ですから、正確ではありません。念のため)

 それから数日間、我々も寄せ付けない固い雰囲気の研究室に変貌して、今建っている普通の建物が出来たのです。ピロティの見上げも、普通の梁のかかった四角い箱です。窓も変わりました。

 はじめの建築とは、似て非なるものです。(個人の感想です)

 それまで設計していたものは、いかにも吉阪風のコンクリートの長い箱で、逆Vの字の2本の柱ではさまれて、宙に浮いて、下がピロティです。しかもそれは下(腹の部分)が、クジラのお腹のようにカーブを描いているのです。

 それは当時、まだ高架道路でしかやらない土木の技術で、うねる様な曲面なのです。その当時の建築の技術では、施工者がしり込みしたらしい。それで「施工不可能」と。

 ただ、はじめの計画のクジラの腹のピロティを描いた鈴木恂さんのパースが「近代建築」の雑誌に掲載されて残っているのが救いです。壊されると反対しているのは、その建築と「似て非なる」ものです(ゴメン)。 

 


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