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2022年08月09日(火)

「広島平和記念公園」は元公園だったって?

 ついこの前、丹下さんの「広島平和記念公園」の展示場を褒めたばかりなのに、ショックな記事を見ました。

 池上彰さんが「外国から来て広島を見た人が、ここは元から公園じゃあなかったのか」と言ったそうです。

 なるほど、唯一、原爆ドームはレプリカのようにきれいになって、残骸が保存されていますが、その他はきれいに公園になっています。だから元から公園だったと思われても仕方がない?

 ショックですねえ。あそこは原爆の記憶=跡を残すほんとに優れた施設なのか? あらためて考えさせられます。

 百メートル道路から、真ん中に1本の軸線を引いて、展示棟ー広場ー記念碑ーそしてあのドーム、さらにその軸線上に、スポーツ施設や文化施設がつくられて、全体が都市のコア―になる。百メートル道路も勿論その時作られて。

 展示棟のピロティには中二階があって、桂離宮の飛び石が模様されている。それ、人間的スケールで、5万人の広場は社会的なスケールを考えたと言われれば、もう感動しない建築家はいなかった。そう、丹下健三が「国際的な建築家」にデビューした作品ですよ。

 ドイツのアウシビッツの記念館はどうだったかな? 

 あるいはヴェンチューリだったと思いますがアメリカの「フランクリンコート」を見に行った時、ベンジャミン・フランクリンが住んでいた家の輪郭を鉄のフレームで作ってあった。そして床には間取りが記してありました。

 広島の「記念公園」は記念施設として、優れた施設ですか?

 あの岸田日出刀が最高得票5票の山下壽郎案をひっくり返して、二票で五位だった丹下健三案を入選させたのだから、相当優れた建築なのでしょう。

 しかしふと考えるのですが、凄惨な原爆が落ちた時の遺品や写真は、展示棟の中に陳列されています。あれなら、東京の国会議事堂の横に記念陳列館を作って長崎も一緒に、展示しても良かったのではないかな? その方が外国の客も、必ず立ち寄る。

 何が言いたいかと言うと、丹下健三は、広島のあそこの「記念公園」に、かたちで残酷な記憶を残す気が、まったく無かった。あそこには過去の形をすっかり消して、世界的な新しい思想と論理で、都市の核「コア」を作りたかったのではないか?

 軸線上ですが、あのドームは川の向こう側にあって、その先はスポーツ施設と文化施設の新しい都市のコアーです。軸線の手前、広場に面した「記念碑」がいかにも祈りをあらわしていますが、はじめの案には無かった。はじめの案は、巨大な細いアーチだったのです。祈りの場など何処にもなかった。

 あらためて白井晟一の「原爆堂計画」とイサムノグチの拒否された記念碑を思い出しています。その方が良かったのでは? と。


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