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2012年06月04日(月)

石本泰博の桂

「「石元泰博写真展」桂離宮 1953,1954 」を鎌倉近代美術館に観に行って来ました。目的があったのです。私が就職した時買った例の丹下さんとグロピウスの本「KATSURA」の写真が石元泰博で、丹下さんの論文と見事に合体しうなったものです。ところがその後に出た磯崎さんの「桂」の本も石元泰博で、二冊の本で同じ写真のトリミングが違うのです。これには仰天しました。私が撮ってもらっていた大橋富夫さんたちの写真は絶対トリミングなどしてはいけないものと思っていました。ところがあるとき、石元泰博と内藤廣さんが対談し、内藤さんもこのトリミングのことを不思議に思ったのか質問していました。普通、写真家は何を撮ろうとするか、それを限られた枠の中でどう構成し表現するか、一部の揺るぎも許されない、と私は思って居ました。ところが意外にも「編集者は自分の写真を自由にお使いになっていいのですよ。」というようなことを言われました。またまた仰天です。しかしきっと石元氏は、本当はこうなんだという自分の「眼」があって、建築家との編集とか出版と言う現実の問題の中で、譲ると言うか妥協と言うか、写真を「使われる」ことを許していたに違いない。だから、個展ではきっと「本心」が見られるに違いない、そして桂離宮に対する石元泰博の本音の「眼」が見られるに違いない、それを観たいというのが目的でした。ところが会場にはA4サイズくらいの大きくない写真が200点あまり並んでいます。それで驚いたことに、建築の同じ部分がアングルをちょっと変えたり、近寄ったり引いて見たり、手前の石を入れてみたりはずしてみたり、「オイオイ、どれなんだよ」と言いたくなりました。これは全部出したキューレイターが悪いのか、それとも写真家というものはそういうものなのか?二川さんだったら?渡辺義男だったら?土門拳だったら、大橋富夫だったら?と、考えてしまいました。で、石元泰博の「桂離宮」は丹下さんと作ったあの本で十分でした。


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