2018年01月05日(金)
焼き場に立つ少年
昨年「ピカソとシャガール・・・愛と平和の賛歌」という展覧会を観ました。
圧巻は横幅が6メートルもあるあのゲルニカと、同じくらいの大きさのシャガールの「平和」でした。両方ともタペストリーでしたが。
言うまでもなく戦争の悲惨さを描いたものです。私はそれまで、これは反戦画つまり戦争反対を訴える絵だと思っていましたが、疑問でした。実際に見てやはり違うと思いました。これは芸術でした。戦争を題材にした芸術だと思いました。
この絵を観て、戦争を思いとどまる為政者が、はたして居るのかと思うのです。
反戦歌をいくら歌っても、思いとどまる為政者はいないむなしい歌と同じではないか。
それに対して、「焼き場に立つ少年」という写真をご存知ですか? これは1945年に従軍カメラマンが撮影した長崎の原爆で死んだ弟を背負って、焼き場で順番を待っている写真です。涙無しには見られません。
この写真をローマ法王が「戦争の結果」と添え書きをして世界に配布するよう指示したそうです。 さすが凄い方です。
戦争の写真で私はこれまで、2枚の写真が忘れられません。1枚は、裸の少女が逃げてくるところを正面から撮った写真と、もう1枚は、泥の河の中を母親が肩から上だけ出して子供を抱いて逃げている写真。しかし「焼き場に立つ少年」は戦争写真の決定版だと思います。これを怒りか涙無くして見られるひとは人間ではない。
この写真の少年は日本人です。日本の責任ある為政者は、机の上の核のボタンを押そうとしている2人のところに行って、見せるべきです。それができないで、「アメリカの核の傘は必要だから」と言っているのは、それも一理かもしれない。但し無能者の思いついた一理。
しかし、この写真を見せて止められないようでは、政治家を下りるべきでしょう。演説の断定口調だけうまくなって、自分に酔ってないで、二人に会ってこの写真を見せていらっしゃい。(このコラム、昨夜書いたのですが読み直してから発信しよと思っていたら、「天声人語」で「二人の執務室に掛けられないか?」と書かれました。二番煎じになってしまいましたが、あえて発信します)