2019年01月08日(火)
仕事の思い出 5 ・東京会館
東京会館が三代目として建て替わり、オープンするそうです。
建て替え前の二代目は、谷口吉郎の設計で、思い出があります。
私は、ある一流企業の社長さんの家を設計していました。条件の一つに「瓦屋根が迎え入れてくれる家」というのがありました。私は、片流れ屋根にして道路から入るアプローチに向かって、ザーと下りてくる形にしました。(イージーだね)
そして、軒も深くし、一文字瓦(調べてください)の上等な奴を使って、見事に条件をかなえました。
そして模型も作って「道路から入ると、美しい瓦の面が見えて、思わず立ち止まるような日本の美が迎え入れてくれます」と説明しました。
やがて棟上げ。上棟式の祝い酒に酔いしれました。
ところがまだ酒の抜けない翌日の朝10時ごろ、その社長から「お昼を差し上げたいので、佐藤さん(工務店の社長)と来ていただけないか」という電話が入りました。
指定されたレストランが、谷口吉郎設計の二代目「東京会館」のレストランだったのです。普通のサラリーマンは来ません。社長と重役ばかりです。
用件は「門から美しい瓦の屋根面が見えると言われたが、今朝見たら、軒裏しか見えず屋根面が見えません。見えるように作り変えてほしい」という事でした。
谷口吉郎の極く上質な空間と、風格のある温厚な紳士を前にして、何が起こったのか、とっさには理解できません。
壁と天井を見ていると、その気品のある空間から、谷口吉郎が現れて「作り替えなさい、君は建築家だろ!」と言ったような気がしました。
「承知しました」と発するのがやっとでした。
佐藤社長は帰るとすぐ大工を集め、垂木をはずし、小屋を解体してくれました。(建築関係の人ならどんなにとんでもないことか分かると思いますが)そして角度を変えて、屋根面が見えるようにしてくれました。要するに棟を高くしたのです。(そうしたら今度は高さ制限にひっかかり、役所に呼び出された話、またの機会に)
佐藤社長は私よりずっと上で、日大の建築科出身です。(日大は凄い。万歳!)生涯私の面倒をみてくれたひとです。
ちなみに、片流れの勾配を間違えた誤算は、敷地が道路より40センチ高いことを計算に入れ損なったのです。
若い建築家諸君!谷口吉郎って知ってる?