2019年09月03日(火)
表現の不自由展
「表現の不自由展」が途中から中止になりました。古い話題ですが、その後も議論は続いています。
この「コラム」は川柳のようなもので、とても本気で取り組んでいる方とは一緒にはできませんが、私も一言。
私は津田大介氏に関心があって、評価しています。しかし、疑問も無いわけではない。
かつて「サンデーモーニング」で、コメンテーターたちがテーブルに並んでいるときに、一人自分の前にパソコンを開いて、常に視聴者の反応が入ってきているらしい画面をチェックしています。
古い「礼儀」としては、マナー違反で、感じの良いものではありません。そのマナーを敢えて無視?破ろうとする意思を感じましたが、それはそれとして、やはりそれなら視聴者や他のコメンテーターにも読めるように番組の構成を変えるべき。それができないなら、あえて席を並べることはない。
国産車の新型を競い合っているのに、フェラーリでやってくるようなもの?(ちょっと違うか…) あるいは宮中晩さん会でグラスに残ったワインを水筒に入れて持ち帰るようなもの??(これもちょっと違うか…)
さて「表現の不自由展」。あくまでもあれは展覧会場で、議場でもなければ討論の広場でもないと思います。あくまでも展示物によって意見を表明するところ。だから展示物が、何を置くか、何をどう置くかが最大の価値。でもそれをただ並べたんじゃあだめですよ。
よく言われることですが、デュシャンの「泉」、あれはTOTOの便器、しかも普通に置いたら、あれほど有名にはならなかった。(これも少し違いますが、とにかく、ちょっと置き方に手を加えることが肝心。 私なら、少女像には白い布をかける。足元だけで分かるようにしておく。あるいは、天皇陛下が書かれている(見てないから分かりませんが)絵か写真か知りませんが、白い半紙を1枚貼って、葬式の時に絵を隠す(若い人知らないだろうなあ)ように、サインとして「隠す」という意思をみせる。そういう展示にしますね。
ストレートにただ置いて見せたんじゃあ、 津田大介さん、ダメだと思いますけどねえ。面白くないですよ。