2020年07月15日(水)
人生を比べる?
先日「チキンハウス」が載っている「建築ジャーナル7月号」欲しい方はお送りしますとコラムに書いたら、1時間もしないうちに「下さい」と一通のメールが入りました。
○○という名前をみると、思い浮かぶのは40年以上も前になるでしょうか、古い「教え子」です。まさか!!
(ちなみにうちによく来る私の研究室の連中は、「下さい」と返事をくれた奴は一人もいなかった。そんなもんですかねえ。)
ところで40年以上前の○○君は、卒業の時相談に乗った記憶がまざまざと蘇ります。
無類の建築好きでした。私の建築の話を、いつも目を輝かせて聞いていました。
その彼が就職の相談に来ました。というより本人は決めているようで、報告と言ったほうが良いかもしれません。
「先生は、設計事務所に行けと言われるでしょうが、ボクはサーフィンがムチャクチャ好きなんです。だから、仕事が終わったらすぐ海岸に行けるところ、そしてぴったり5時に終わって帰れるところに行きたいんです。」
「ナニッー?!!」・・・俺の前からサッサと失せろ!! と叫びそうになりました。
彼のことはその時まで、こういう奴こそ、どんな苦境にもめげない良い建築家になると期待していただけに、そのあとのことは思い出せません。
その後、サーフィンに向いている海岸に近い市役所の建築指導課に入ったと知りました。
あれから40年です。あの○○君だったら何と声をかけようか。早速メールで返信しました。
「あの○○君か?、建築よりサーフィンを選んだあの○○君か? もしそうだとしたら、今 何してる? まだ役所か? まだ役人なら 北山さんの記事は読んでもつまらないぞ! 君が読むようなものじゃあない!」
「あいかわらず辛口ですねえ。読みたいんですよ・・・そういえば 先生の話が忘れられなくて、去年とうとう、ジョンソンの「ガラスの家」に行ったんですよ」
「エッ! 何言ってんだ! ガラス屋さんと勘違いするなよ?! 建築指導課の役人が見に行くところじゃあない!」
「先生も言われていたけど、やっぱりファンズワース邸の方が良いですね。僕も確かめました。
NYのザッハ・ハディドのコンドミニアムも良かったですよ。「落水荘」にも寄りました。
覚えていらっしゃらないでしょうけれど、先生が最初の授業で『神奈川県立近代美術館と国立西洋美術館に行ってきなさい』と言われて、すぐ行ったのを憶えています・・・僕が初めて見た建築です。「神奈川」は最近改修されてすっかり良くなりましたよ」
そして自分はあと1年半で定年退職です、と書いてありました。
彼のメールを見て考えました。一人の男の「入口」と「終点」を見たような気がして・・・
考えてみると、私だって音楽家でもないのに、アアルトの「フィンランディアホール」でシベリウスを聴いて感動したし、画家でもないのにノルウェーまで行ってムンクを見て胸がしめ付けられたし。それによって少しは人生に色と厚みがついた。それと何が違う?
彼が見に行っている建築は、普通の建築家でも見ていない人の方が多い。というより、東京文化会館で音楽も聴いたことがない建築家はゴマンといる。「ガラスの家」や「ファンズワース邸」あるいは「落水荘」も見ないで、わがままで言うことが通じない施主の「御用デザイナー」で、住宅ばかりを設計して、人間の中身は空っぽで一生を終わる建築家の人生と、○○君のやがて終わろうとする人生と、比べられないものなのか?
「今度会いたい」と書いてありました。