2020年11月09日(月)
小説はあきらめた
伊集院静さんのエッセイを読んでいたら「寿司屋のカウンターに座った」という一節が出てきました。
実は私、以前或る「小説教室」で、「(飲み屋の)カウンターに腰かけて待つことにした」と書いたら、「カウンターに腰かけることはないでしょう。腰かけるのは椅子でしょう」と直されて、なるほど、普通に言っている言い方ではいけないのか・・・正確に書かなければ、 と教えられました。
ところが、伊集院静さんのようなプロの人気作家が「カウンターに座る」と書いているじゃあないか。しかも別のところでは「カウンターに腰かけた」とも書いているのを見つけました。
だから、文章技術というものにかなり不信感を抱きました。文章は技術ではないのではないかと、迷っていました。
ところで、「小説教室」で指導を受けていたのは、数年前、時間も出来たので「芥川賞」を取ってみようかと思って、指導を受けはじめたのです。
しかし私が書いた小説の構想を、指導してくれている小説家が、「こうした方が良いのではないか」と直されたのを見て、止めたのです。
その先生が言ってくれた「構想」は、度肝を抜かれるほど吹っ飛んだ発想で、「参った」、本物の小説家にはとてもかなわない、さすがプロだと思ったので、「芥川賞」は諦めたのです。
「小説を書くのは止めた」とその小説家に言ったら、彼は 「私の『構想』は使ってもいい。これで賞をとっても君のものだ」と言ってくれましたが、そういう問題ではなく、とにかくプロというものは、凄いということを、この歳になって、まざまざと見せつけられ、実感したのであきらめたのです。
そういえば安藤忠雄さんははじめ、プロボクサーになろうとしたようですね。それがある時、あのファイティング原田が練習ジムに来て、やっているのを見て、「これは大変だ」と思って止めたそうです。私と似ています。気持ちわかります。さすがです。
建築の場合は、例えば丹下さんの代々木の体育館を見て「建築家になろう」と決心した建築家を沢山知っています。 またコルビュジエの「ロンシャン」や「チャンディガール」を見て、こういう建築を作りたいと憧れた人は沢山います。
かなわないから止めるというのと、こんな素晴らしい建築を作りたいというのと、 何が違うのでしょうかねえ・・・