2021年07月24日(土)
開会式の点火式
価値観もセンスも、時代と共に変わって、もう自分を変えてまでついていくのは止めて「それも有りか」と、追加することにしたと前回のコラムで書きました。
ウィスキーグラスを持ったまま寝たようで、気が付いたら、長嶋さん王さん松井さんが3人で、聖火を持って何かしています。アレッ?何しているのかなと思ったら、皆で移しっこ(キッス?)しているらしい。それから大坂なおみさんの聖火に移して、大坂さんが臨時の櫓の聖火台にゆっくり上がって、点火しました。
「ああ、聖火台の点火式か・・・」とウィスキーをちびり。
寝ているときに勘九郎さん?も出てきて聖火をつないだとか・・・
火遊びじゃあないんだから、なんで一人でやらないの?と疑問。
そうか、これがセンスの変化か・・・と強引に納得。
1964年の東京オリンピックの時は、満席の競技場に一人のランナーが松明を持って走りこんできます。聖火から白い煙を、競馬の尻尾のようにたなびかせて、トラックを一周します。
そして聖火台の下に来ると、最上段に設置された聖火台まで、何十段、百段以上あるでしょうか、狭い階段を駆け上ります。地上を走ると同じペースで、一気に駆け登る。最上段で振り向いて、松明を掲げて、点火します。
その美学はもはや現代のものではないようで・・・
コルビュジエの「アジール・フロッタン」を高く評価しているから嫌いなんですが建築評論家の五十嵐太郎さんが、実に良いことを言っておられます。(朝日新聞「文化欄」)
「丹下の国立代々木競技場は日本の高度成長の象徴でした。今度の競技場は黄昏の時代の象徴になってしまったと感じています。」
実に的確な良い表現です。私は一言付けて「建築の黄昏の時代」と言いたい。
そして、近年建築雑誌を見ていないので、この建築のみんなの評価を知りませんが、五十嵐さんはこの建築を高く評価していないようで、共感。胸のすく思いです。
いや、もしかしたら、私の評価軸とは全く違っているかもしれない。嗚呼・・・