2022年08月03日(水)
久しぶりに丹下建築
昨日の朝日君の夕刊ご覧になりましたか? 社会・総合面です。
「広島平和記念資料館」前に9代目館長が立っておられる写真です。
館長さんは私の1歳下のようで、立派な姿をしていらっしゃいます。
それで、その背景に眼が惹かれたのです。丹下健三先生の「資料館」のほんの一部ですが、久しぶりに、建築に「良いなあ・・・」と惹かれました。
不覚にも横ルーバーがいつ、どういう理由で外されたのか不勉強でしたが、付いていてもこのアングルでは蹴られて見えませんが、縦のルーバーと床の厚みと、四角でないピロティ、どれも、こういうのを完璧というのでしょうね。
この四角でも円形でもないピロティの柱は、その何年か前に建てられたコルビュジエのマルセーユの柱のパクリだと思いますが、オリジナルより、より日本的にし、丹下的にするところが、さすが丹下健三と久しぶりに感激しました。
べつに丹下健三の特段の崇拝者ではありませんが、「なにがなんでも 勝たねばならぬ」と力んでいた時代が、やっぱり傑作を作った。懐かしいです。
懐かしいと云えば、思い出二つ。
一つは友人の木島安史君が、丹下事務所に就職して、模型を作らされた。
言われた通り削っていると、後ろに立たれて、目を細めながら「もう少し薄くして・・・」
更に削っていると、また目を細めて「もっと」と言われる。気が済むまで徹底的に削らされたよ、あのこだわりようと緊張ったらなかったよと言っていました。
もう一つ。北山恒さんが学生時代、丹下事務所にアルバイトに行ったと 遊びにきました。
何人かで模型を作らされているとき、北山さんはその固い雰囲気に飽きたのか「丹チャンがさあ・・・」と言ったら、後ろに丹下さんが立っていた。即刻奥に呼ばれてクビになったそうです。