ホーム »  コラム  »  「住吉の長屋」あの時「いいね」と言ったけど・・・

2022年12月03日(土)

「住吉の長屋」あの時「いいね」と言ったけど・・・

「あの時『いいね』と言ったけど」(仮題)を書いています。

「住吉の長屋」を書いています。

 もうさんざん書かれているはずですが、「トイレが無いからダメだ」という否定の原稿が見つかりません。

「トイレが無いから住宅としては失格だという意見はあるが・・」とか「物議をかもした」とは書いていますが、自分は否定しないで絶賛しているのです。

 隈研吾さんと二川幸夫さんの対談では、無いことすら触れてもいません。もう低次元の話なんでしょう、無視しています。

 かと言って、無くても良いじゃあないかと言う、肯定する意見もほとんどありませんが、

某誌でひとつ見つけました。

著名な建築史家(学者)です。「住吉の長屋」を絶賛した最後で「雨の夜、傘をさして2階の寝室から1階のトイレへ行かねばならないことは、決してベラボウなことではない」ですって。

 何ですか? ベラボウとは・・ベラボウとは、口頭で使う語で、「程度がひどい様子」(明解国語辞典) だそうです。何故わざわざここで、そんな書き方をするのですか?

 そして「住吉の長屋の光庭に、丹精込めた植木鉢が置かれるとき、時代はすこし移っていることは確実である」 で文章はおわっています。 どういう意味ですか・・?これって・・・

 先の隈さんと二川さんの「頂上対談」も理解しようと三回読みましたが、ほとんど理解できません。空気は分かりますが、掴めないのです。私だけでしょうか・・・?

 私はバカなのに、こういう難しいのを読んでいたから、選手がサッカーで勝っても狂喜できなくなったのでしょうか?

 腹立ちまぎれに「こんな文章ばかり載せているから、建築雑誌はほとんど潰れて、本はさっぱり売れなくなったんだ!」と書こうかと思っていますが、ハードボイルド君は賛成してくれるかな? もっとも彼の文章も彼のパートナーにすら難しいと言われているから・・・嗚呼


ページの先頭に戻る